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本質観取と仏教
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。 > 現象学... こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。ひどっち でございます。 > 現象学を齧る人のなかにも“虚無主義”に陥る方がいるんですよ。何だかここが共通点みたい。 そうだったのですか。愚生も、竹田(当時はまだ一文芸評論家に過ぎませんでしたが)を読んだときには、確かに陥りかけたことがございます。仰られますような傾向が少なからずあるのかもしれません。 > 精神現象の〈典型〉を見出していこうという、やっぱり医学が健康体を見据えておくのと同じようなスタンスなんですが、客観主観を棚上げしてしまうところに気を取られると虚無主義に陥るんでしょうね。それだけ対象の現前に依存しているということですね。 なるほどそうでしたか。仰るとおりかと存じます。客観なるものは、おそらく人々の“拠り所”、“楔”のようなものなのかもしれません。その存在が不明瞭ともなりますと、虚無主義に陥ってしまうものと察せ