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無名時代の坂本龍一「凄いよ、きっと大物になる」1976年のスタジオで聞いた“予言” 音楽の達人“秘話”・坂本龍一(1) - 2ページ目 (2ページ中) - おとなの週末公式|おいしくて、ためになる食のニュースサイト
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坂本龍一もアレンジで参加した大貫妙子のアルバム ぼくが坂本龍一の名を初めて知ったのは1976年のことだ... 坂本龍一もアレンジで参加した大貫妙子のアルバム ぼくが坂本龍一の名を初めて知ったのは1976年のことだ。山下達郎などと組んだシュガ 一・ベイブで一部の音楽ファンに人気となった大貫妙子のデビュー・アルバムの録音中だった。当時、東京は港区赤坂の溜池にあったクラウン・レコードにぼくはしばしば訪れていた。クラウン・レコードには大貫妙子以外にも細野晴臣などが所属していて、彼らのディレクターであるKさんには、随分とよくしてもらった。時々、電話がKさんからかかってきて、スタジオに遊びにおいでと言われた。 クラウン・レコードのスタジオは昼間はスケジュールが埋まっていることが多かったが、深夜は空いていた。その深夜に時間を気にせず、その後の日本の音楽シーンの原石たちがレコーディングしていた。 “ター坊(大貫妙子の愛称)のレコーディング中なので聴きに来ない” ある夜、Kさんから電話があって、ぼくはスタジオに行っ
2023/04/22 リンク