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フィンランド苦難の20世紀 マンネルヘイム大統領時代 久々、フィンランドの話です。マンネルヘイム大統... フィンランド苦難の20世紀 マンネルヘイム大統領時代 久々、フィンランドの話です。マンネルヘイム大統領の時代(1944年8月~1946年3月)に触れてみたいと思います。ソ連との講和に成功したものの、フィンランドの状況は厳しいものでした。国家としての主権と、議会制民主主義、資本主義の存続は認められましたが、国土の15パーセント弱に及ぶカレリア地峡とペッツァモ地方をソ連に割譲し、カレリア地峡や東カレリアからの難民も50万人を超し(参考までに冬戦前のフィンランドの人口は370万人です)、彼らに衣食住も与えなくてはなりません空にソ連に3億ドルもの賠償金を6年以内に払うことも課せられていました。さらにラップランドでドイツ軍との戦い続けながら、フィンランドは軍を解体しなくてはならないという難事もありました。どちらを向いても希望を見いだせない、マンネルヘイム大統領の時代はそんな時代でした。ドイツとのラッ
2015/08/12 リンク