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坊主も知らない仏教の落とし穴【1】 -対談:南 直哉×島田裕巳 (2ページ目)
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坊主も知らない仏教の落とし穴【1】 -対談:南 直哉×島田裕巳 (2ページ目)
【南】私が恐山に入ったのは、7年前のことです。大学を出て、西武百貨店に2年ほど勤めてから、「やはり... 【南】私が恐山に入ったのは、7年前のことです。大学を出て、西武百貨店に2年ほど勤めてから、「やはりサラリーマンは無理だ」と観念して、出家得度しました。入門時は「永平寺で死にたい」と思っていました。しかし厳しい修行も、数年もすれば慣れます。自己存在の危機を解決するすべはあるのか。それを突き詰めるために入門したのに、パターン化した生活の中で、行き詰まってきたちょうどその頃、恐山山主の長女との縁がありました。道元禅師(どうげんぜんじ)の750回忌という節目もあり、下山することになりました。 【島田】2つの寺はオーソドックスな仏教の視点では対極にありますが、その一方で、いまの「仏教ブーム」、さらにいえば「スピリチュアルブーム」の中では、一括りにされています。恐山にも若い訪問客が増えているのではありませんか。 【南】特に最近は、若い女性が1人で来るというケースが目立ちます。おととい来られたバーテンダ