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呉座勇一「NHK大河ドラマはまったく違う…"徳川家康は我慢の人"のイメージは偽造だった」 今川への"裏切り"を美談にしたい「勝者の歴史」にご用心
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呉座勇一「NHK大河ドラマはまったく違う…"徳川家康は我慢の人"のイメージは偽造だった」 今川への"裏切り"を美談にしたい「勝者の歴史」にご用心
家康の名言は偽造だった! 徳川家康には「我慢の人」と「タヌキ親父」というイメージがあります。「我慢... 家康の名言は偽造だった! 徳川家康には「我慢の人」と「タヌキ親父」というイメージがあります。「我慢の人」で、すぐ思い浮かぶのは「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」の名言でしょう。しかし、これは家康の言葉ではありません。 明治時代に旧幕臣の池田松之助が、水戸光圀みつくにの遺訓と伝わる「人のいましめ」を基に偽造したもので、広まったのは日光東照宮など、各地の東照宮に納めたからだとされています。また、この名言の起因となったのは、幼少期の家康が人質として今川家で苦難の日々を我慢しながら送ったというエピソードで、源流は大久保彦左衛門(家康・秀忠・家光三代に仕えた譜代家臣)の『三河物語』に行き着きます。 しかし、今川義元は姪の築山殿つきやまどのと家康を結婚させて一門に加え、今川家を支えていく重臣にするつもりでしたから、むしろ丁重に扱われていたのです。ところが桶狭間の戦いで今川義元