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2018年、日本映画はニューフェーズへ(前編) 立教、大阪芸大の90~00年代、そしてポスト3.11
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2018年、日本映画はニューフェーズへ(前編) 立教、大阪芸大の90~00年代、そしてポスト3.11
この2018年、日本映画には様々な形で刺激的な動きが起こっている。しかし目立つ現象の方向性は分散して... この2018年、日本映画には様々な形で刺激的な動きが起こっている。しかし目立つ現象の方向性は分散しており、大きな傾向は極めて捉え難い状況。そんな中、筆者はどれくらい新しい地図を描けるのだろうか? これはシーン全体の概観に向けての、ささやかな素描の試み。逡巡や拙さを含む論考になるだろうが、温かい目でお付き合いいただければ幸いである。 まずは乱暴な手つきなのを承知で、近過去の流れをざっくり整理したい。筆者(1971年生まれ)が同時代の映画と、映画批評を同時に意識しはじめた90年代。日本映画における若手作家の先端に立っていたのは、ある特定のスクール出身者たちだった。それは時に「立教ヌーヴェルヴァーグ」などとも呼ばれる一群。立教大学の自主映画制作サークル「パロディアス・ユニティ」に関わりつつ、同大学で映画表現論の講義を行っていた評論家・蓮實重彦の薫陶(強い影響)を受けた映画作家たちである。具体的に