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隈媛神社(宝現寺跡)、島津義弘の二人目の妻を祀る - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
鹿児島県姶良市加治木町木田に、隈媛神社は鎮座する。御祭神は隈媛命(クマヒメノミコト)。「球磨から... 鹿児島県姶良市加治木町木田に、隈媛神社は鎮座する。御祭神は隈媛命(クマヒメノミコト)。「球磨から来た姫」を意味する。その姫とは、島津義弘(しまづよしひろ)のニ番目の妻である。肥後国球磨(くま、熊本県人吉市のあたり)の相良義陽(さがらよしひ)の妹にあたる。名は「亀徳」という。 政略結婚であった。そして、島津氏と相良氏の同盟が破綻したことから離縁する。亀徳は悲嘆にくれて亡くなったと伝わる。その供養のために祀ったのだという。 正室と離縁、継室とも離縁 川に身を投げて 隈媛神社をお詣り 亀徳は球磨に帰った、とも 正室と離縁、継室とも離縁 島津義弘は離縁を二度経験している。いずれも同盟の破綻によるものである。 最初に迎えた正室は北郷忠孝(ほんごうただたか)の娘。永禄3年(1560年)に島津忠平(ただひら、島津義弘)は、日向国飫肥(おび、宮崎県日南市)の豊州家(島津氏の分家)の養子に入った。この際に、
2023/05/14 リンク