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総動員体制下 色濃く 不屈館、沖縄朝日「慰問号」を展示 - 琉球新報デジタル
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総動員体制下 色濃く 不屈館、沖縄朝日「慰問号」を展示 - 琉球新報デジタル
展示されている「沖縄朝日新聞」を見る来館者=11日、那覇市若狭の「不屈館」 米統治に抵抗した政治家... 展示されている「沖縄朝日新聞」を見る来館者=11日、那覇市若狭の「不屈館」 米統治に抵抗した政治家・瀬長亀次郎さんの資料などを展示する那覇市若狭の「不屈館」は、23日の「慰霊の日」に関連し、太平洋戦争前の新聞を展示している。 新聞は1940年8月25日付「沖縄朝日新聞」の「皇軍慰問号」。中国に出征した県出身兵士に送られたものとみられ、総動員体制の社会の雰囲気を伝えている。食糧増産、奉仕作業の写真や兵士へ宛てた子どもの文章のほか、戦地から帰還した新聞記者として瀬長さんの写真も掲載されている。新聞は7月30日まで展示予定。 「皇軍慰問号」は、不屈館の未整理資料から見つかった。タブロイド判12ページで、保存状態が良くほぼ完璧な状態で残っていた。 1931年の満州事変で日本は15年戦争に突入。37年には日中戦争が始まり、38年国家総動員法公布。40年には大政翼賛会が発足し、総動員体制ができあがって