エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
お大師様のことば(九十一) SAMAYAプロジェクト21
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
お大師様のことば(九十一) SAMAYAプロジェクト21
諸の弟子らに語(つ)ぐ。 およそ出家修道はもと仏果を期す。 あにいわんや人間(じんかん)少々の果を... 諸の弟子らに語(つ)ぐ。 およそ出家修道はもと仏果を期す。 あにいわんや人間(じんかん)少々の果をや。 入会規約はこちら (PDF: 87KB) お大師様のことば(九十一) 大正大学名誉教授・種智院大学客員教授 東京成就院長老 福田 亮成 人間の全存在を器(うつわ)、即ち、ものを入れおさめるもの、という言葉で表現いたします。世間的にも、人間を表現する云い方の一つに、”あの人は器の大きな人だ”というように、度量の大きな人、心が広く、人をよくうけいれる性質の持ち主といいます。 仏教では、器とあわせて機根という言葉が使われます。機根とは、仏の教えにふれて精神的な能力が発揮されること、というように解されます。 この文章の主語は水ですが、それを仏の教えと重ねてみますと、教えとは、それを受けとる人びとの宗教的な能力によって、どのように展開し、変化していくのか、ということでありましょう。その実際は、イン