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鷗外歴史文学集(一)/森鷗外 - 本の覚書
西周伝(にしあまねでん) 周の父は森家の出身で、鷗外の祖父の兄弟にあたる(鷗外の祖父は養子だから、... 西周伝(にしあまねでん) 周の父は森家の出身で、鷗外の祖父の兄弟にあたる(鷗外の祖父は養子だから、鷗外と周の間に直接的な血のつながりはなさそうだ)。同じ藩医の家系で、家も近所であった。鷗外が東京へ出てからも、大学入学前の一時期、周の家に住んでいたことがあるから、周の死後すぐにその伝記を書く人物としてはうってつけであったろう。 しかし、鷗外は登志子と離婚して以来、周とは絶縁状態にあった。周の留学仲間に林紀(つな)、榎本武揚、赤松則良がいる。林の弟の紳六郎は周の養子になり(周の伝記執筆を鷗外に依頼したのはこの紳六郎である)、姉妹の多津は榎本の妻、貞は赤松の妻となり、みな姻戚となった。鷗外が陸軍に入ったのは、周と林(陸軍軍医総監)の斡旋があったためである。鷗外が留学から帰って結婚した登志子は赤松(海軍中将)の娘であり、これを斡旋したのも周である。ところが鷗外は、わずか一年数か月で彼女を離縁してし