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弥生人はなぜ神殿の柱に700年前の木材を使ったのか 紀元前1世紀の「大雨説」も謎深く
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弥生人はなぜ神殿の柱に700年前の木材を使ったのか 紀元前1世紀の「大雨説」も謎深く
国史跡で弥生時代の大規模な環濠集落「池上曽根遺跡」(大阪府和泉市、泉大津市)に新たな謎が浮上した... 国史跡で弥生時代の大規模な環濠集落「池上曽根遺跡」(大阪府和泉市、泉大津市)に新たな謎が浮上した。紀元前1世紀ごろの「神殿」と目される大型掘立柱建物の柱を再測定したところ、柱材に最大700年もの年代差があることが判明したのだ。同一の建物に年代に大きく隔たりのある木材がなぜ使用されたのか。多くの研究者も合理的な説明ができず、首をかしげる事態になっている。 30年経て再測定、極端な差「想定を超える古い年代が出てしまった」 7月10日、国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)と和泉、泉大津の両市教育委員会などが開いた池上曽根遺跡の柱材の年代再測定に関する記者会見。同席した年輪年代法の第一人者で奈良文化財研究所名誉研究員の光谷拓実氏は思わずうなった。 柱材の年代は平成8年、光谷氏が年輪パターンから割り出す手法で測定し、最も外側にある年輪を紀元前113~前52年と発表していた。それから約30年、年輪