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応仁の乱、両大将の退場でますます目的を見失う【応仁の乱を読む 第5回】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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応仁の乱、両大将の退場でますます目的を見失う【応仁の乱を読む 第5回】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
文/酒寄美智子 今年は1467年の応仁の乱勃発から550年。中公新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(... 文/酒寄美智子 今年は1467年の応仁の乱勃発から550年。中公新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(呉座勇一著、中央公論新社)の大ヒットで、この大乱が今、かつてない注目を浴びています。 応仁の乱は、終結まで11年という年月がかかりました。そこで、なぜそこまで長引かなければならなかったのかという点に着目し、大ヒットした『応仁の乱』を読み解く本稿。 今回は、東西両軍を束ねた将の退場とその後に焦点を当てます。 ■戦乱の終結へ、最大のチャンス到来! 文明4(1472)年正月、東軍・細川勝元(ほそかわ・かつもと)と西軍・山名宗全(やまな・そうぜん)の間で和睦交渉が始まりました。 長引く戦で両軍が疲弊していたことに加え、前年には赤痢・疱瘡も大流行。「もう戦を終わらせたい」という思いはすでに両軍に広がっていました。中でも西軍は相次ぐ敗戦で越前、瀬戸内、東国からの補給路を絶たれ、劣勢覆いがたい状況だっ