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悪代官はいなかった
徳川幕府の天領は約400万石、それらを実質的に支配、統治、差配していたのが代官である。お代官と言えば... 徳川幕府の天領は約400万石、それらを実質的に支配、統治、差配していたのが代官である。お代官と言えば、悪人の代名詞のように思われているが、事実とはまったく異なる。歴史的事実として、悪代官は存在しなかった。 よくドラマで、「越後屋、そちも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどではありません」などという会話がなされているが、このようなことはまず起こり得ないことである。もしあれば、すぐに罷免されるのが一般的であった。 「天領の治世は諸藩の手本になるように行う」ということが、江戸期を通しての幕府の変わらぬ方針であった。従って、代官の選考基準は厳しく、識見、人格の優れた人たちが選ばれるのが通例。そもそも天領の税率は4割で、諸藩に比べると大変低かった。代官が勝手に税率を引き上げることはできず、代官が悪政を行うような素地は極めて小さかったのである。 むしろ悪政が行われる可能性は、天領以外にこそ存在した。たと