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白雪姫と七人の小坊主達 揚輝荘訪問 (学問の神が動く)
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白雪姫と七人の小坊主達 揚輝荘訪問 (学問の神が動く)
昨年、国連クラシックライブ協会の環境ミュージカルが名古屋で行われた際、劇中シンポジウムで一言のべ... 昨年、国連クラシックライブ協会の環境ミュージカルが名古屋で行われた際、劇中シンポジウムで一言のべるために名古屋に行き、ついでに日泰寺の調査を行った。 日泰寺の由来は簡単に述べるとこうである。1900年タイ(シャム)のチュラロンコン大王はインドで発掘されたばかりのブッダの真正の舎利をビルマ(ミャンマー)やセイロン(スリランカ)の仏教徒に分骨することを表明した。初代シャム公使稲垣満次郎は日本も仏教国として名乗りを上げるよう大隈重信に説き(ちなみに、外務大臣青木周蔵は「関与するな」と無関心)、大隈はかねてより親交のあった東本願寺に話をもちかけ、東本願寺は単独で舎利を奉迎しようと申し出た。しかし、タイ国王は仏骨を特定の一宗派ではなく日本仏教徒全体に授けることを希望したため、日本仏教の各派の管長があつまって協議し、仏骨奉迎のために超宗派の日本大菩提会を組織し、そこから選抜された四人が6月14日にバン