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十文字青『絶望同盟』の感想に書き忘れたこと - my beds on fire
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十文字青『絶望同盟』の感想に書き忘れたこと - my beds on fire
4人の高校生たちは毎日昼休みに教室を離れ、靴脱ぎに集まる。なぜかというと、教室はなんとなく居心地が... 4人の高校生たちは毎日昼休みに教室を離れ、靴脱ぎに集まる。なぜかというと、教室はなんとなく居心地が悪いからだ。四方を壁に囲まれていて狭苦しく、同級生たちのやけに大きな話し声で騒がしい。靴脱ぎに集まる彼らは教室になじめない人たち、主流からはずれた落伍者だ。 たとえば田中ロミオの『AURA』というライトノベルでも、いわゆるスクールカーストの低い人たちの文化が扱われる。ファンタジーにのめりこみ、惨めな自分をごまかす人たち。物語の序盤では、主人公はスクールカーストの高い人たちに遠慮しながら、自分の地位に見合った高校生活を送ろうとする。だけれど彼は徐々に中二病的想像力を肯定するようになり、スクールカースト上層までもがその想像力を認めるところで物語は終わる。すなわち、スクールカースト下層の想像力が上層の人たちを呑み込んでゆく。 一方で、『絶望同盟』では教室でのヒエラルキーはまったく描かれない。ネンジや