エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント8件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
2006-11-27
別に厳密な定義があるってわけじゃなく、個人的印象論。 道徳は、共同体のルール。 倫理は、自分のルー... 別に厳密な定義があるってわけじゃなく、個人的印象論。 道徳は、共同体のルール。 倫理は、自分のルール。 つまり、共同体が崩壊した時に失われるのが道徳で、それでも残るのが倫理、と。 そういう意味で考えると、日本には「道徳教育」はあっても「倫理教育」がないよなあ。 もともと「倫理」というと一神教的な「神から自分へのルール」だったわけで、そのあたりの文化的な差もあるのかも。 まあp_shirokuma氏やfromdusktildawn氏のように、道徳にしろ倫理にしろ単に環境適応のために必要なミームとして捉えることも可能ではあるでしょう。 ただここでfrom氏がいうように、人間の意志は単なる環境適応の奴隷ではないわけで、その意味で「自分のルール」というのは非常に「人間的」といえるのかもなあ、とか思いました。 関連:コールバーグの道徳性発達理論 道徳的命令に従う訓練ばかりやってると、メリット・デメリ
2006/11/29 リンク