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2006年11月29日のブックマーク (5件)

  • ここギコ!: 北極南極でつかまるか、赤道周りをぐーるぐる

    記事、大嘘です。 常に方位磁石で確認しつつ東に進んだら、その地点の緯度に沿っての移動になります。 詳細はこちら 東でも西でも北でも南でも、まっすぐ進めば地球一周してまた元の場所に戻ってくる。 スタート地点から見ての特定の方向のベクトルと、地球の中心を含む面と地球面との交線である円上(地球は楕円体だとか突っ込まない!)を進んだ場合そうなるわけだけど、これ、一瞬「常に北(あるいは東)を指して進む」ことと混同してしまいそうだけど、よく考えると違うんだよね。 北と南はすぐ判る、北や南に進み続けると絶対極点に達するけど、極にはそれ以上北も、東西の概念もなく、そこからどこに行こうと南なわけだから、北に・南に「常に」行き続ける、と言う限り、極に達するとトラップされてそれ以上動けなくなる。 それじゃ「常に」東・西に行き続ければどうなる?というと、考えてみるにこれは赤道にトラップされるくさい。

    ken_wood
    ken_wood 2006/11/29
    東でも西でも北でも南でも、まっすぐ進めば地球一周してまた元の場所に戻ってくる。よく考えると違うんだよね。 北と南は極域トラップ、東西は赤道トラップ:永遠に赤道に接近をするが到達しないで周回を続ける?
  • (第2回)「失われた10年」と新UIの必然

    マイクロソフトは,まもなく発売する「the 2007 Microsoft Office system(以下,Office 2007)において10年振りの大変革に踏み切る。ではこの10年間,マイクロソフトは何をやってきたのだろうか。Officeの「失われた10年」を振り返ると,なぜOffice 2007でユーザー・インターフェース(UI)を刷新したのか,その理由が見えてくる。 結論を先に述べておけば,マイクロソフトはOffice 2007から,UIに関して「トップダウン方式のテンプレート至上主義者」になった。これまでのようにボトムアップで機能をあれこれ追加してもユーザーの迷惑になるだけだとようやく悟ったのである。 「Office 97」で現在の姿に 現在のOfficeの姿は,1997年3月に発売された「Office 97」でほぼ完成されたといって間違いない。「完全32ビット化(Windows

    (第2回)「失われた10年」と新UIの必然
    ken_wood
    ken_wood 2006/11/29
    >マイクロソフトはUIに関して「テンプレート至上主義者」になった。悪いとは言い切れない。「学ぶ」ことは「真似る」ことから始まる。無味乾燥な文書を作っていたユーザーが美しい文書を作れるのは十分価値がある。
  • 犬が嫌いな人を理解しない犬が好きな人 - リツエアクベバ

    hatayasanさんが、ペットの周辺の話題に関心を持っているらしい。 はてなブックマーク > 闇鍋ブックマーク > 2006年11月28日 ここで出てくる一つ、ノーリードに関してのサイトに関心を持つ。 放し飼いするな / N P O (んぽ)NO! Pet Oasis 脱ペット宣言 非常によくわかるけれど、でもこの内容、届いて欲しい人には届かないのだろうな、などと、ため息のように思う。 わたしは小さいときから20代になるちょっと前まで家に室内犬がいまして。しかも二匹も。まあ犬がいるのが当たり前の生活を送っていたわけだ。 自分ちでなでくりまわすだけじゃ飽きたらず、人んちでも犬がいるとすぐに手を出す。ガキの時分に室外で飼う大きな犬の事中に手を出して、噛まれたり、なんてこともありましたが、いわゆるトラウマにもならず。外出先で犬に出会えば、まあそこそこにこにこなんぞしたり、さわらせてもらったり

    犬が嫌いな人を理解しない犬が好きな人 - リツエアクベバ
    ken_wood
    ken_wood 2006/11/29
    >道で出くわして避けようとしているのにも関わらず、怖くないよ、ほら怖くないでしょ、と、避けることを許してくれない飼い主ってのがいる。息子は猫が好き。犬が嫌いはイコールで生き物が嫌いってことじゃない。
  • (2)大失敗の「語り部」が、若い人を育てるんです:日経ビジネスオンライン

    (第1回から読む) ブックオフ2号店を作る。店長は橋さんだ。 1号店のパートとしてブックオフに入り、自分の小さなアイデアが評価され、店の運営に反映される。仕事って、面白い。 ブックオフに「ハマって」いた私は、坂(現・ブックオフ会長)に2号店を任せると言われて、元々のモーレツ主婦魂が、店のモーレツお母さん魂に転化し、めらめらと燃えあがりました。 しかし2号店は、1号店の成功体験に冷水を浴びせる、失敗の連続だったのです。 必死になって作った棚がお客さんを遠ざけた 私はギラギラ、ピカピカの文庫の棚を必死になって作りました。というのも1号店では、とにかく周りの店より明るくなるよう蛍光灯を沢山つけました。それで夜、帰宅途中のサラリーマンなどお客様を引きつけるのに成功したんです。その成功体験が、無意識のうちにあったんでしょう。赤、オレンジ、といった派手な色のカバーの文庫ばかり「華やかな棚にすれば

    (2)大失敗の「語り部」が、若い人を育てるんです:日経ビジネスオンライン
    ken_wood
    ken_wood 2006/11/29
    >私は「モーレツお母さん」から、「現場全体に目配りするお母さん」に変わった。「語り部」は成功失敗の体験を語る。ブックオフには門戸を叩いてくれた若者を孤立させず働く喜びを感じてもらえるような文化がある。
  • 2006-11-27

    別に厳密な定義があるってわけじゃなく、個人的印象論。 道徳は、共同体のルール。 倫理は、自分のルール。 つまり、共同体が崩壊した時に失われるのが道徳で、それでも残るのが倫理、と。 そういう意味で考えると、日には「道徳教育」はあっても「倫理教育」がないよなあ。 もともと「倫理」というと一神教的な「神から自分へのルール」だったわけで、そのあたりの文化的な差もあるのかも。 まあp_shirokuma氏やfromdusktildawn氏のように、道徳にしろ倫理にしろ単に環境適応のために必要なミームとして捉えることも可能ではあるでしょう。 ただここでfrom氏がいうように、人間の意志は単なる環境適応の奴隷ではないわけで、その意味で「自分のルール」というのは非常に「人間的」といえるのかもなあ、とか思いました。 関連:コールバーグの道徳性発達理論 道徳的命令に従う訓練ばかりやってると、メリット・デメリ

    2006-11-27
    ken_wood
    ken_wood 2006/11/29
    >道徳は、共同体のルール。倫理は、自分のルール。共同体が崩壊した時に失われるのが道徳で、それでも残るのが倫理、と。そういう意味で考えると、日本には「道徳教育」はあっても「倫理教育」がないよなあ。