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「巨人」のいない国で -「否定と肯定」批評- - 思記
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「巨人」のいない国で -「否定と肯定」批評- - 思記
「否定と肯定」(原題: "Denial")を鑑賞した。今回はこの映画について書きたい。以下の拙文はネタバレを... 「否定と肯定」(原題: "Denial")を鑑賞した。今回はこの映画について書きたい。以下の拙文はネタバレを一部含みうるため、気になる方は鑑賞後にお読みいただければ幸いである。尤も、以下の文章を読んだことによって映画の面白さが減じることはないように思う。むしろ、これを読んだことでより面白い鑑賞が可能になるような文章こそ、本稿の目指すところである。この何とも無謀な試みが成功しているかどうかはさておき、素晴らしい作品なのでぜひ劇場でご覧いただきたい。 「否定」による「否定」 まず、原題の"Denial"に込められた意図について見ていきたい。公式サイトによれば、本作品のあらすじは以下の通りである。 1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリス