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阿久津河岸船玉神社(ふなだまじんじゃ)「栃木県さくら市」
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阿久津河岸船玉神社(ふなだまじんじゃ)「栃木県さくら市」
さくら市の南西部にあり、県道125号鬼怒川の東岸、上阿久津交差点と鬼怒川堤防路の間の住宅街の路地を北... さくら市の南西部にあり、県道125号鬼怒川の東岸、上阿久津交差点と鬼怒川堤防路の間の住宅街の路地を北進、約200メートルの住宅地に鎮座します。 案内地図 由緒 徳川家康が江戸に入部すると、領地である関八州から建築資材や食料の輸送を川船による運搬が主でした。 後に、幕府が開かれ、参勤の制が布されます。東奥(鬼怒川から離れた地域)地域の糧穀や物産は、阿久津まで陸送し、この地から川船で江戸に送られました。 やがて、商用の荷物も旅人も利用するように成りました。その川船の発着所を河岸と言います。 阿久津河岸は、奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流に位置する地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで、水陸交通の要地として、300年間栄えました。 鬼怒川上流独特の、川船を小鵜飼船(こうかいせん)と言い、船上達が水上の安全の守護神として、河岸場に祀ったのが、舟のみたま・船玉(船魂)大明神です。 境内は、舟の