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2008-10-02
獲得した、と思っていた物や権利に別れを告げるのはなかなか苦しい。それらの集合体の御輿の上に自分と... 獲得した、と思っていた物や権利に別れを告げるのはなかなか苦しい。それらの集合体の御輿の上に自分という存在が成り立っているように感じるから、そのうちのひとつでも失ったと感じるたびに足元を掬われるような感覚があるのは仕方ないと思う。 でも自分のもの、自分の権利と思ってるのは思い込みだけの話で、それを自分やその対象が死ぬまで手元に置き続けるかどうかっていうのは、その実際の権利とは別問題だったりする。人生の岐路に立ってAとBの選択を迷いぬいてどちらかを泣く泣く諦めた時、選ばれた選択と同等かそれ以上の必然性を「諦めた」方も持っているわけで、選ばれた選択だけじゃなく、どっちかと言うと「諦めた」選択のほうに人生は強く左右されているような気がしている。 だから既得権だと思っているものをある日突然失う(失った事に気づく)ことは、本人の感覚/感情とは別の、大きな必然性を内包しているんだと思う。意味じゃなくて。