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小谷野敦『なぜ悪人を殺してはいけないのか』
読んだ。死刑廃止論を徹底批判した表題論文が秀逸なので、これにかぎって話を進める。 かなりまえ、新聞... 読んだ。死刑廃止論を徹底批判した表題論文が秀逸なので、これにかぎって話を進める。 かなりまえ、新聞に、被害者の遺族が犯人を死刑にしてほしいと発言したのを非難する、死刑廃止論者(学生だったと思う)の投書が載り、そのとき、「被害者の遺族というものが」との表現があったのを記憶している。「…というものが」などと平気で書ける精神こそ、死刑廃止論者の本性だと、背筋が寒くなったものだ。 中村とうようがミュージックマガジンで、死刑廃止論者の発言の幼稚さを批判したことがあり、なるほどと感心しながら読んでいたら、最後のほうにきて、国家があるかぎり死刑はなくならないのだ、といいだし、国家と対峙する姿勢を忘れないよう、自分はしょっちゅう税金を滞納している、とか、なんかそんなふうに論理が横滑りし、ちょっと妙に思った。中村とうようは、いまや体制擁護者じゃないかと思うぐらいになってしまったけれど(もちろんときどきいいこ