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近代大阪と堀江・新町 水知悠之介著 より夕霧について | 妄想オムライス
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近代大阪と堀江・新町 水知悠之介著 より夕霧について | 妄想オムライス
p120 1945年の大阪大空襲で新町は消滅、吉田屋も300年の歴史に幕を下ろしましたが、空襲で被災した7つの... p120 1945年の大阪大空襲で新町は消滅、吉田屋も300年の歴史に幕を下ろしましたが、空襲で被災した7つの蔵の内2つが焼け残り、夕霧遺品の一部が遺族の手に残されたのは不幸中の幸いでした。(戦後の都市計画で吉田屋の屋敷位置はなにわ筋となり、そのため1950年ごろ吉田屋は、新町北公園の西側にこじんまりと看板を上げますが、長続きせず閉店されました) 2009年暮に、NPO法人なにわ堀江1500主催の『なつかしの昭和新町展』が大阪市立中央図書館で開催され、焼け残った夕霧の遺品が公開されたのだそうだ。見たかったー! 夕霧の起請文 「おなじかぎりのいのち 申しまいらせそうろう かしこ 夕きり」 「待つ春の文」は万芸に秀でた夕霧にあやかり、昔から着物の袖に縫い込んでおくと生涯着物に不自由しない、と言い伝えられている。以下「待つ春の文」本文。 御なつかしき折から、よふぞ御しめし、あさからずながめ参らせ