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差別反対を唱える人の内心の差別意識を批判する人の内心の差別的パターナリズムを批判する
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旗旗 – ブログ「旗旗」 : 「おいコラ!在日!」と言われた時 by 草加耕助 はてなブックマークで見つけた... 旗旗 – ブログ「旗旗」 : 「おいコラ!在日!」と言われた時 by 草加耕助 はてなブックマークで見つけた大分昔のエントリだが、実に興味深かった。 「差別を非難しているが自分も無自覚に差別している人を非難する」内容なのだが、『その「差別を非難しているが自分も無自覚に差別している人を非難する」人が差別問題(少なくともその重要な一側面)に無自覚』という、メタ的な構造になっていたからだ。 筒井康隆の断筆事件以来差別問題が趣味のひとつである私としては、ここにもう一段メタを重ねてみたいと思う。 最初の方からなんとなく「一部の動物はもっと平等である」的な戯画的危うさを予感しながら読んではいたのだが、背中につららを突っ込まれたような恐怖が走ってしまったのはこの部分、 「自分が部落だろうが在日だろうがユダヤ人だろうが、そんなことどっちでもよろしい。私という人間の評価や人生になんの違いもありまへん。どうぞ