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ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』
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ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』
最初の2つは比較的わかりやすい。 フリーライダーを野放しにしてはどんな社会も成り立たないので、公正/... 最初の2つは比較的わかりやすい。 フリーライダーを野放しにしてはどんな社会も成り立たないので、公正/欺瞞を無視する立場はありえない。 権力抑止がないのは、独裁者とその取り巻きしか嬉しくないので、少なくとも民主主義国では、やはり自由/抑圧を無視する立場はありえない。 ケア/危害もやはりまったく無視する立場はありえないものの、福祉の増加は、それを実現する権力(政府)の肥大とフリーライダーの増加に繋がるので、軽視する立場がありうる。それがリバタリアン。 忠誠/背信と権威/転覆はやや似ている。ある程度重視されることは、どんな社会にも社会資本として必要と思われるが、公正/欺瞞や自由/抑圧と抵触し、行き過ぎると身びいき・ナショナリズムとなりうるのでリベラルは軽視しがち。 神聖/堕落については、ちょっとわかりにくい。現代先進国では、元々の適応課題である感染忌避としての役割はほぼ失っていて、よそ者嫌い(人