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GSのブームが終焉したなかで、なぜモップスだけがロックバンドとして生き残ったのか。(その3) | WHAT's IN? tokyo
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MUSIC Column GSのブームが終焉したなかで、なぜモップスだけがロックバンドとして生き残ったのか。(そ... MUSIC Column GSのブームが終焉したなかで、なぜモップスだけがロックバンドとして生き残ったのか。(その3) 2020.03.17 バンドの解散が続いた冬の時代 グループ・サウンズ(GS)に関心を持つ人が急に少なくなり、マイナーなバンドが自然消滅していったのは、1969年から1970年にかけてのことだった。 なんとか70年代まで生き延びたメジャーなバンドも、1971年の1月にタイガース、テンプターズ、スパイダースが解散してしまった。 さらに5月にはオックス、6月にはヴィレッジ・シンガーズ、7月にはジャガーズ、10月にはワイルド・ワンズが活動を停止した。 そこでニュー・ロックを目指して結成されたスーパーグループの「PYG」は、GS時代に人気絶頂だった沢田研二(タイガース)、萩原健一(テンプターズ)がツイン・ヴォーカル担当すると打ち出したことで、前評判は上々だった。 しかし1971年