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十二単は十二枚では無かった? - tomshannon’s diary
「清少納言」からの流れです・・・ 先日の天皇ご即位の時に雅子様が着用されていたのが「十二単」です。... 「清少納言」からの流れです・・・ 先日の天皇ご即位の時に雅子様が着用されていたのが「十二単」です。 十二単は、奈良時代の後期に着物の原型が生まれ、平安時代により現代に近い着物が生まれた、その平安時代の中期に完成したのが女房装束の儀服です。 宮中などの公の場所で晴れの装いとして、宮中の儀式など、公家女房の晴れの装いとして用いられました。 唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)から成ります。髪型は大垂髪(おすべらかし)が基本。 重さは平均20kgもあり、重ねる衣の枚数は十二枚ではなくまちまちで、室町時代以降は5枚となり、それ以後「五衣」と呼ばれるようになりました。 正式名称は「五衣唐衣裳」で、十二単と呼ぶようになったのは、宮中では十二単とは呼んでおらず、世間が『源平盛衰記』にある「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単
2020/02/12 リンク