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「鎮魂」などと安易に言うものではない
なにかの被害者や、ここ2年数ヶ月なら「被災者」、あるいは弱者(在日コリアンなど)、挙げ句にそれこそ... なにかの被害者や、ここ2年数ヶ月なら「被災者」、あるいは弱者(在日コリアンなど)、挙げ句にそれこそ戦争の死者まで、自己正当化に都合良く利用するのが、最近の日本のトレンドであるようだ。 被害者や弱者の味方だから、ワタシは批判されるべきではない、とはまことに安直な(しかし陳腐に倒錯しまくった)身勝手でしかない。 たとえば「拉致被害者の身になって」北朝鮮は赦せない、あるいは「被災者のため」、「被差別者の側のため」に「反レイシズム」の運動…。この8月には「追悼の邪魔」と称して公人の靖国参拝を肯定したり、首相が終戦記念日や原爆忌に発した言葉への批判封じに利用する向きまで出て来る始末で、最近この種の無責任な自己正当化が後を絶たないのは、まったく困ったものだ。 まあ確かに、死刑制度を肯定する最大の理由が「被害者(遺族)感情」なのは前からなわけで、しかし亡き妻の遺影を裁判所に持ち込むことを要求し、弁護側の