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中国禅をざっくりと――『禅思想史講義』 小川 隆 | 考えるための書評集
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中国禅をざっくりと――『禅思想史講義』 小川 隆 | 考えるための書評集
禅というのは、とっつきにくいのかな。読む本を選びにくいし、むかしの禅僧の話も知らない。現代では鈴... 禅というのは、とっつきにくいのかな。読む本を選びにくいし、むかしの禅僧の話も知らない。現代では鈴木大拙の本が読まれたり、岩波文庫では『無門関』や『臨済録』が出ていたりする。日本の禅僧では、一休や沢庵、道元くらいが知られているだろうか。中国の禅僧などさらに知られていない。 この本は四章のうち、三章までが中国の禅思想をざっくり紹介されているから、ほぼ中国禅の紹介の本といえる。第四章はおもに鈴木大拙の章である。日本の禅僧はほぼすっ飛ばされている。 初期の禅、唐代の禅、宋代の禅がおもに紹介されている。 初期の禅は、頓悟と漸梧の論争がおこり、北宗と南宗にわかれた。頓悟は一時にすべてを悟ること、漸梧は段階的、斬進的に悟ってゆくということ。禅は頓悟がおもなイメージだが、思考の反復は習慣となっているので、この自動習慣はすぐには止めることができないとわたしは思うが。 唐代の馬祖は、自分の心がすなわち仏である