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狭い崖道を攻め込まれ…片手で1000人を斬りまくった超凄腕の武将 | アサ芸プラス
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狭い崖道を攻め込まれ…片手で1000人を斬りまくった超凄腕の武将 | アサ芸プラス
「一騎当千」という言葉がある。1人の騎兵が1000人の敵を相手にできる意味で、ずば抜けて強い勇者のこと... 「一騎当千」という言葉がある。1人の騎兵が1000人の敵を相手にできる意味で、ずば抜けて強い勇者のことを指す。 現在では学識、経験、手腕などが人並み外れた実力者のことだが、実際にたった1人で、1000人の敵を斬り捨てたという伝説を持つ、戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将がいる。それが、土屋昌恒だ。 昌恒は元々、武田信虎、信玄に仕え、軍中使番12人のひとりに数えられる侍大将・金丸筑前守の五男で、名を惣蔵といった。惣蔵は永禄11年、弱冠13歳で武田家と今川家の間で起きた「宇津房合戦」で初陣し、敵将・岡部貞綱の家臣の首を取った。 岡部貞綱はその武勇にいたく感心。武田家の軍門に下り、土屋貞綱として武田海賊衆に加わった際、懇願して昌恒を養子とした。これにより、金丸惣蔵は土屋昌恒になったのである。 昌恒が武勇を轟かせたのは、天正10年(1582年)の、甲州征伐の時だ。 甲州征伐とは、織田信長と同盟