エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
斎宮歴史博物館:斎宮千話一話
第11話 清少納言も紫式部もはまっていた・・・はず 先日、大阪にて関西広域機構主催の「関西ワークショ... 第11話 清少納言も紫式部もはまっていた・・・はず 先日、大阪にて関西広域機構主催の「関西ワークショップフェスティバル」に参加して、双六(すごろく)の指導をしてきました。 双六、といっても道中双六、つまりサイコロを振ってゴールをめざすゲームではありません。バックギャモンと同じと言われる、盤双六です。 11世紀の専制君主・白河上皇が、自分の意のままにならないものとして、賀茂川の水と比叡山の山法師とともにあげたのが「双六の賽」の目、というように、平安時代の人たちは貴庶を問わずこのゲームにどっぷり漬かっていたことは、よく知られています。 なにしろ日本で「雙六」という文字が最初に見られたのは689年で、白河天皇より400年も前のことです。しかも、その資料はなんと、双六の禁止令でした。双六というゲームの発祥の地は紀元前2600年頃のメソポタミアといわれ、双六【雙六】という名は、「六の目が二つ」、つ