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律法と福音(12)心の罪 山崎純二
これまで「律法」について、さまざまなポイントに分けて書いてきましたが、究極的には「愛せよ」(心を... これまで「律法」について、さまざまなポイントに分けて書いてきましたが、究極的には「愛せよ」(心を尽くして、自分と同じように、汝(なんじ)の敵までも)という実行不可能な戒めが神様の律法の要約であり基準であると、聖書を一緒に確認してきました。それでは、神様はむちゃくちゃな戒めを私たちに与えているのでしょうか。 いいえ、そうではないことは、私たちの良心が知っています。そして、誰もこれらの聖書の言葉に矛盾や欠陥を見出せないはずです。私たちはそれを守ることができないとしても、万一そのような「愛」を実践している人を目の当たりにしたら、魂がゆさぶられるほど感動するでしょう。つまり私たちは律法が真っ直ぐなものであり、理想的なものであることに心の奥底では納得しているのです。 ではなぜそのような正しく良いものを私たちが受け入れることができないのでしょうか。私たち人類は心のねじ曲がった、不良品だというのでしょう