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歴史を訪ねて 富士講
「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したもの... 「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。 山を神と仰ぐ山岳信仰は、かなり古い歴史を持つ。なかでも庶民に広く受け入れられたのは、秀峰富士を仰ぐ富士信仰であった。平安時代に記された「竹取物語」にはすでに「不死の霊薬」というくだりがある。今ではビルやスモッグにさえぎられて、富士山を拝むのも難しいが、空気の澄んだ昔のこと、江戸の町民は朝な夕なに富士に親しんだことだろう。 江戸八百八講 江戸時代には、霊験あらたかな社寺や霊場に参詣し、あるいはその維持のために奉加寄進を行うことを目的とする「講」という団体が、多く組織された。伊勢講や御嶽講、相模の大山を仰ぐ大山講、富士山を崇拝する富士講などがそれである。 富士登拝は中世以降から行われていたか、庶民に広まったのは、江戸時代の初期に、長谷川角行(かくぎょう)が教義を整え、講を組織してからで