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時間を遡ると、この宇宙は1つの時空特異点から生まれていたという解が、一般相対論のアインシュタイン方程式にはあります。これがいわゆる「ビッグバン解」です。ホーキング博士と彼の共同研究者であるハートルさんは、そのビッグバン宇宙も、実は量子的な無の揺らぎから生まれたという理論を提唱していました。古典的なアインシュタイン方程式の解に現れた時空の特異点は実は存在せず、宇宙の始まりは虚時間で書かれる経路積分法で記述され、図1の右側のように時空特異点自体が存在していないというシナリオです。この仮説は、「無からの宇宙創成」とも呼ばれます。 図1:量子的な宇宙創成を表すハートル=ホーキング状態(wikipediaより)彼らの量子宇宙の定式化は、いわゆる量子重力理論の1つに当たります。そして、量子重力理論で記述される宇宙には「時間は存在しない」ともよく言われます。これについては下記記事をご覧ください。 今回は
電磁気学を勉強すると、荷電粒子の加速運動によって放射される電磁波の話がでてきます。ところが面白いことに、無限の過去から無限の未来まで永遠に一定の加速度運動をする荷電粒子からは、電磁波は出ません。これは実は一般相対論の構築に重要だった等価原理と関係しています。 等価原理とは、どんな重力でも、自由運動をしている観測者にとっては局所的に消去されるものであり、まだ逆に、加速運動をしている観測者には、人工的な重力がかかっていると見なせるという主張です。 空を飛んでいる飛行機のエンジンを一時的に停止する実験では、その機内のあらゆるものがプカプカと浮かんでしまいます。つまり宇宙の無重力空間と同じ環境が再現されるのですが、これも等価原理として理解されます。また遊園地で高速回転するアトラクションに乗ると強い遠心力を感じますが、等価原理から言えば、それは人工的な重力だということになります。この回転運動から生ま
今年2025年は、ハイゼンベルグが書いた行列力学論文の出版から100年目で、量子力学の記念の年です。世界中の様々な場所で、その記念の企画も開催されています。科学のアウトリーチとして、量子コンピュータなどの最新技術と絡めて、「量子」が一般向けに語られることも多くなりました。 現代的に情報理論として量子力学を説明している下記の教科書でも、この量子について解説をしています。 量子(quantum) という言葉は、磁気モーメントのz 軸成分などの物理量に最小単位があり、その単位の整数倍の値しか観測されないという現象を表現するために作られた用語である。様々な量が粒子のようにつぶつぶになるという気持ちを表す。実際にはより一般的な形で使われており、物理量が一定単位の整数倍でなくても離散的な観測値をとる場合には、その現象は量子化(quantization) という名前で呼ばれる。 『入門 現代の量子力学』
それ以外にも、多世界解釈には重大な欠陥があります。それは「量子多重人格問題」です。物理的な用語でいうならば、それは「基底選択問題」とも呼ばれます。これは作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが書いた小説の中に出てくる「バベルの図書館」で説明するとわかりやすいかと思います。今回はそれを解説したいと思います。 この図書館は非常に巨大であり、22文字のアルファベット(小文字)と文字の区切り(空白)、コンマ、ピリオドの25個のキャラクターで表現可能な全ての組合せで書かれるあらゆる本が納めているとされます。つまり25個からランダムに1つずつ選び、並べることで生成される内容の本が、漏れなく存在しているという変わった図書館です。保管されている本の中には、もちろん単にでたらめな文字が並んで、意味が全くとれない本も多数あります。そして、この世界観での「本」は、実は多世界解釈での宇宙内部の物体に通じるものがあるのです。
量子力学には、なぜ線形代数、つまり密度行列や状態ベクトル、そしてエルミート行列としての物理量が出てくるのかが分からないという人が結構います。しかし拙書『入門現代の量子力学』では、その行列やベクトルは単なる表記の1つに過ぎないと、強調をしています。 そもそも量子力学という理論は、物理量の確率分布を基本とした情報理論に過ぎません。波動関数や状態ベクトルも、いくつかの種類の物理量の確率分布をまとめて、1本の数式に書いたものです。この「波動関数=確率分布」という事実から、そもそも観測問題というものも存在しなかったことが、明らかとなります。 確率分布を行列やベクトルで表示しているだけなので、行列やベクトルが出てくる理由を問う必要は、全くありません。これは電磁気学の電磁ポテンシャルや電磁場を、数学の外微分形式や四元数で書いても、そのdxや、i、j、k自体には、なにも物理的な意味がないのと同様です。 で
「還元論」という考え方は、前世紀までの様々な科学を大きく発展をさせてきました。我々の体を含めた、身の回りの全てのものは、限られた種類の原子の集まりであるという原子論も、この還元論的な考え方の1つです。その原子の組み合わせで、どんな複雑な物体も作られているので、基礎となっているのは、その原子の物理法則である。そのミクロな法則を理解すれば、マクロな対象も自ずから深く理解できるであろうという「還元主義」の思想も、長く物理学業界を支配してきました。 原子も、原子核と電子から作られており、その原子核は陽子や中性子などの核子からできており、更に核子も、より小さなクォークという素粒子から作られています。20世紀の物理学では、世界のこのようなミクロな階層が、次から次へと発見されました。 前世紀には大成功をした、この還元論という方法論、還元主義という思想ですが、現在の物理学において、それらは終焉を迎えつつあ
温度の相対論的な変換の仕方が未だわかっていないというコメントが、SNSに流れていました。「相対論的な熱力学」を定式化しようという試みは前世紀から随分とありました。温度を他の物理量と組み合わせて、ローレンツ変換における4元ベクトルにできないかなどの考察や提案が、これまで為されてきたのです。ただ現状では、多くの研究者に受け入れられている定式化は、まだ現れていません。なぜ「温度の相対論化」が難しいのかについて、すこし書いておこうと思います。 まず熱力学は、熱浴全体やそれと接触する物体が動かない、静的な環境においては、よく理解をされています。例えば温度についても、物体同士が接触をすれば、それは熱平衡に達して同じ温度になることも、実験面から支持されている大切な事実です。特に、無限に大きいと近似的に考えられる温度Tの熱浴と対象系の物体が接しているのならば、隠れた対称性の存在などの特別な事情がない限り、
哲学と理論物理学の違いは、一般の人には少し分かりにくいかもしれません。どちらも論理的に考えながら、この世界についての考えを述べる点でよく似ています。しかし、理論物理学の目的は、最終的に実験や観測で確かめられる予測を立てることです。つまり、実証できる科学の一部なのです。一方、哲学は人文知に分類され、極端に言えば、実験や観測で確かめる必要のない考えを扱うこともあります。 ただし、哲学の主張の中には「今後の実験や観測の検証も必要とせずに、純粋な思索だけで、この世界や宇宙についての科学的な真理を証明している」と人々を誤解させるものがあります。その一例が「シミュレーション仮説」です。 シミュレーション仮説とは、私たちが住んでいる世界は高度な知的生命体によって作られたコンピュータシミュレーションである確率が高いとする考え方です。つまり、私たちの現実は本当の現実ではなく、作られたものかもしれないという、
今回は、「宇宙の微調整問題」と、それに対するマルチバース理論について書いてみようと思います。この問題は、「宇宙の形や未来を決めるいくつかの数値(宇宙項など)が、なぜ今の私たちが生きているような宇宙を作り出せるほど、ちょうどいい値になっているのか?」というものです。そのような「ちょうどいい値」になる確率は極めて小さいと素朴には考えられるのが、この問題の難しさの原因です。なぜそのような、都合の良いことになっているか?素朴な感覚では、とても不思議に思える問題です。 また関連することとして、次の問題もあります。私たちが住んでいる地球は、宇宙空間の中でも、「ハビタブルゾーン(生存可能圏)」と呼ばれる、生物が生存できる条件が整った場所にあります。しかし、これは太陽系の歴史の中でも非常に珍しい時期です。宇宙の時間の流れから見れば、ほんの短い間だけ地球は生命を育める環境にあります。それなのに、なぜ私たちは
解析力学では、古典的な物体を扱う際にハミルトニアン (Hamiltonian) という物理量が登場します。通常、英語の頭文字を取ってHと記されることが多いです。このハミルトニアンは、物体の運動を記述する正準方程式に現れます。 (1)式:正準方程式特定の初期条件を与え、未来の挙動を予測する場合、この正準方程式を解くことが重要です。そのため、ダイナミクスを支配するハミルトニアンHは、一見すると特別な地位を持つ物理量のように思えます。確かにHは非常に便利な量ですが、「Hは物理量として特別か?」と改めて問うと、実はそうでもないのです。 ハミルトニアンHは物理変数pやqに依存します。しかし、Hがpとqの関数として時間tに依存しない場合、正準方程式の解に対してHの値(エネルギー)Eは時間に依存しなくなります。これが、いわゆるエネルギー保存則です。 エネルギー保存則は、物理学の学習において度々出てくる重
『速度には光速という限界があるけれど、加速度に限界はないのか?』というnoteの最後に、シュヴィンガー効果(Schwinger effect)に触れました。 強い電場を用意すると、その電場から電子と陽電子の対が大量に生成され、結果として元の電場が崩壊していく現象があります。この現象は、その理論を完成させたジュリアン・シュヴィンガー(Julian Schwinger)にちなんで『シュヴィンガー効果(Schwinger effect)』と呼ばれています。 しかし、平面的な電磁波の場合、たとえその電場がどれほど強くても、電子と陽電子の対生成は起きません。これは、相対論のローレンツ不変性とエネルギー・運動量保存則によって禁止されているからです。今回は、この理由について具体的に解説しておこうと思います。 まず、シュヴィンガー効果の元の理論は、静的な外場、つまり一定で強い電場を前提としています。 図1
X(旧Twitter)で、物理に真剣に向き合おうとする学生からの興味深い質問を見つけました。それは「速度には光速という限界があるけれど、加速度には限界がないのか?」というものです。 相対性理論によれば、物体の速度は光速度cを超えることができないことがよく知られています。この制限は、速度のx成分、y成分、z成分のいずれにも適用され、そして速度の大きさ自体もcを超えることはありません。 では、速度ではなく「加速度」についてはどうでしょうか?加速度にも上限が存在するのかという問いは、物理学の最先端の観点から見ても非常に意義のある問題です。 この加速度の問題を考える上で、便利な「次元」という概念をまず説明します。物理学では、さまざまな物理量が「次元」という特性を持っています。この次元は、空間の自由度を表す幾何学的な次元とは異なり、物理量の性質を示すものです。たとえば、ある物体の「長さ」という量は、
NHKスペシャル「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」では、一般の視聴者にも理解しやすいように工夫が凝らされ、「量子もつれ」が紹介されました。その中で、「量子もつれはテレパシーのようなもの」という表現が何度も使われていました。 量子もつれがテレパシーのように感じられる理由の一つには、私たちの日常の直観である「そこに実在としてモノがある」という考え方が影響していると言えます。 しかし、2022年のノーベル物理学賞で注目された量子もつれの実証実験(つまりベル不等式の破れの確認)によって、「そこにモノが在る」という局所実在性は実験的に否定されました。この実験を行ったクラウザー氏、アスペ氏、ツァイリンガー氏の3人が、この番組にも登場していました。 クラウザー氏やアスペ氏は、ベル不等式の破れを示す実験を行う前は、アインシュタインが提唱した「実在論」を深く信じていました。しかし、自らの実験結果によ
おかげ様で多くの方からご好評を頂いております、通称「堀田量子」の拙書ですが、第3章における物理量の操作的な定義についてわかりにくいというご意見が一部ありました。執筆時には厳しいページ数制限があったため、初版では詳しく説明ができませんでしたが、その正しい理解のための補助線として、第2章と第3章を繋ぐ位置づけの「第2.5章」を、ここに書いておこうと思います。 2.5-1節 操作的に定義される物理量の考え方 本書は、前期量子論や正準量子化を論理の基盤とした前世紀の教科書とは異なる構成を採用しています。そのため、従来の教育を通じて培われた先入観を持ったまま読み進めると、ギャップを感じる場面が多々あるかもしれません。その代表的な例が、「物理量を人間が操作的に定義する」という点です。一方で正準量子化を採用している従来の書籍では、「物理量はエルミート行列(またはエルミート演算子)である」といった表現がよ
ご本人が終了をさせたはずの議論でしたが、中平氏が再び批判のnote記事を出ましたので、他の読者の方のために、この批判に対する回答を書いておこうと思います。 このnote記事でも、下記記事にまとめた実験的に実証可能な条件だけから量子力学の法則を満たす「量子系」の体系が「演繹」できないと、中平氏は繰り返し主張をされています。 私の教科書では、標準的な量子力学の公理系を満たすものという意味で「量子系」としています。多くの他の教科書にもある、その標準的な公理系とは、下記になります。 ・量子状態は密度行列ρで表現される。 ・物理量はエルミート行列に対応する。 ・エルミートの固有値が実験で観測される物理量の値である。 ・物理量の値が観測される確率は、ボルン則で与えられる。 ・密度行列の時間発展はシュレディンガー方程式で記述される。 私の上の回答のnote記事でも述べたとおり、これらの公理は2準位系でも
以前悲しいメールをもらったことがあります。オクスフォード大に通っていた息子さんが交通事故で亡くなったお母さんからのメールでした。彼を死なせてしまった悲しみから逃れようと、タイムマシンを研究している物理学者を彼女は本気で探していたのです。 私の研究を見つけたそのお母さんは、きっとタイムマシンに関係あるだろうと期待してメールを送ってくれたのでした。その悲しみのメールを読んでとても心が痛みました。しかしタイムマシンを私自身は作れないことだけを彼女に伝えることしかできませんでした。 タイムマシンさえあれば、事故に遭う前の息子さんのところに飛んでいき、彼を助けられると信じていたそのお母さんに対して、自分は何もしてあげることができなかったのです。 量子重力理論においては、量子情報はきっと厳密に保存すると考える研究者は多いです。そうであれば、その息子さんが生きた証も宇宙のどこかに記録され続けていることに
実は我々の観ている空間は幻想であって、我々を含めたこの世界の存在は2次元空間に刻まれたホログラフィの像であると考える「ホログラフィ原理」という理論が、現在世界中で活発に研究が進められています。 このような一見奇抜なアイデアが生まれたのは、量子ブラックホールの研究からでした。ホーキング博士が最初に指摘したように、ブラックホールは熱輻射を出すと考えられています。ホーキング輻射という名前で知られていますが、このことは容れものに過ぎなかったブラックホールの時空が、熱力学的な性質を持つことを意味します。ホーキング輻射の温度はブラックホールの質量に反比例をしています。その温度を輻射が出てきたブラックホールの温度であると同定をし、またブラックホールのエネルギーをその質量に光速度の2乗をかけた質量エネルギーであるとして、熱力学第1法則を適用すると、ブラックホールの熱力学的エントロピーが導入できます。自然単
古典的な一般相対論の記述では、ブラックホールは時空に開いた黒い穴であり、吸い込まれた物体は二度と外には出られません。ところが場の量子論を考えると、ホーキング博士が指摘したようにブラックホールは全くの黒色ではなくなり、様々な波長の光などから作られる熱輻射を出すと考えられています。この熱輻射はホーキング輻射と現在では呼ばれています。 スティーブン・ホーキング(1942-2018)熱した鉄から出てくる光の温度を測ると、その鉄そのものの温度が分かるように、ホーキング輻射の温度はブラックホールの温度に等しいと考えられます。(ただし輻射を出すブラックホールの一部分の温度であって、全体の温度であるとは限りません。この可能性については機会を改めてnoteに書こうと思います。) するとブラックホールは温度を持たない時空としてではなく、温度やエントロピーなどの熱力学的性質を持ったモノとして理解されることになり
SF的夢想の中には、哲学的に深いものが入っていたりするものです。例えばSF的に『測度零事象』というものを考えてみましょう。量子力学は起き得る事象の確率分布を与えるものです。ある物理量を測ると、その許される値が何%で観測されるのかということを予言し、実験でそれを確認できます。 測度零事象とは、量子力学での観測確率が零である事象(現象や出来事のこと)を指します。普通の感覚だと0%とは「起き得ない」事象です。 測度零事象の1つの例として、素粒子のエネルギー保存則を破る仮想的なミクロな反応を想定できます。また現状だと、タイムマシン(時間を遡る現象)も実験で観測されたことはないので、一応これも測度零事象の候補に分類可能です。 しかし「その現象が起こる確率は0%」、つまり「ある現象は100%起き得ない」ことと、「本当にその現象が起きない」ことの間には、微妙な概念のずれがあることに気づきます。確率の普通
「非エルミート量子力学」は、もちろん量子力学のユニタリー性を否定した拡張理論ではありません。普通の量子力学の範疇の中にある、近似法の話です。 私が学生だった頃に初めてその話を聞いたとき、「変な話だなぁ」と思いました。その当時の研究者たちは、近似法としてではなく、従来の量子力学の枠組みを超えた拡張として、本気で非エルミートなハミルトニアンをまだ考えようとしていたからです。 そもそも物性分野よりもはるかずっと昔から、素粒子分野では非エルミートなハミルトニアンは近似として使われていました。例えば中性K中間子とその反粒子の間の振動現象の解析に、H=M-iΓのような有効ハミルトニアンが既に当たり前に使われてました。(Γは粒子の崩壊率行列。)これはどの素粒子の教科書にも出てくるよく知られた事実です。 実際H=M-iΓは良い近似で、中性K中間子振動現象の実験データを説明しています。でも素粒子分野では、エ
マクロ世界も量子論で記述できることは、量子力学という理論の重要な主張です。実際の実験でも、ミクロ系からどんどんと系のサイズは大きくなっており、顕微鏡で目で見える程度の系でも量子的な重ね合わせ状態が簡単に作られ、その干渉効果を観測できるようになりました。このメソスコピック系やオプトメカニカル系と呼ばれる系のサイズ拡大の記録は世界中で日々更新されているような状況です。今まで量子力学がマクロ系で破れる兆候は、実験では全く見えていません。 かなりマクロ系に近い物理系でも量子力学の正しさが実証されていることは、量子力学の予言の1つでもあるスケーラブルな量子コンピュータの可能性をより信頼できるものにしています。 しかし波動関数の収縮を自発的に起きる物理的な現象として理解を試みる非標準的な理論も、世の中にはいくつかあります。そのような理論では、ミクロとマクロの自由度の間にある閾値を仮定したりします。対象
物理量に対して古典力学では、測定によらない真の値の存在と、その値の正確な測定の存在を無根拠に仮定をしていました。ところが量子力学は、その物理量の真の値は実在しておらず、また不可避な測定誤差や物理量への擾乱が出てくるという性質を持ちます。この物理量の中には、光子などの素粒子の数も入っており、その真の値が存在しないということは、その素粒子自体が実在として存在していないことを意味します。 2022年には「そこにモノがある」という局所実在性を否定をした、ベル不等式の破れの実験に対してノーベル物理学賞が与えられました。 量子力学が古典力学のような普通の感覚での実在を持たないことを確認することは、別の方法でもできます。 古典力学では異なる複数の物理量にそれぞれの真の値があり、その物理量の真の値の積も物理的な実在だと考えられてきました。ところが量子力学ではその性質が成り立たないことが、コッヘン=シュペッ
一般向けの量子力学の本には「電子は、見ようとすると粒子になり、見ないと波になる」のような記述があります。更に「素粒子は意識を向けると粒子になり、向けないと波になる」というような記述も、スピリチュアル系の書籍には出てきます。これらは実証科学としての量子力学の正確な記述にはなっておらず、非常に大きな誤解を世間に与えていると思います。人間の意識が素粒子などの対象を粒子や波に変えている事実はありません。 下記記事に書いたように、電子は「粒子でもあり、波でもある」と言ってしまうと厳密には正しくありません。また「そのどちらでもない」という説明も正確性を欠いてしまうのです。 量子力学の「波動性」は、波動関数の重ね合わせが作る干渉実験などから、そう呼ばれたりしますが、「波動関数」という物理的な波が実在しているわけではないのです。波動関数は下記の記事にあるように、物理量の確率分布の集合をまとめて1つの数式に
量子力学の基礎定数であるプランク定数、もしくはそれを2πで割った換算プランク定数ℏは、何故定数なのか?現在では国際単位系でプランク定数はある値に固定をされています。しかしこの問いでの「定数性」はシュレディンガー方程式に現れているプランク定数の時間依存性を問うています。このℏが定数である理由を誰も知らないので、将来のある時期から唐突にℏが時間変化をする可能性も零ではありません。ではそのときには何が起こるのでしょうか?これは物理学としても意味のある問いです。同様に光速度cや電子の電荷eも何故時間変化しないのか。もしそれらが時間変化をしたらどうなるのか。このような議論はこれまで理論物理学者によって沢山なされてきました。これは哲学でもよく行われる「可能世界」の思考実験の例でもあります。 超弦理論を考えるならば、高次元時空のコンパクト化によって電磁場やそれと相互作用をする電子の電荷eが出てきます。高
現代の量子ネイティブと、タイムマシンで現れたA.アインシュタイン、そしてJ.S.ベルとの対話 -実在論者を追い詰めた、量子もつれの存在- ある日、大学の講義で現代的な量子力学を学んで量子ネイティブとなった物理学徒が、タイムマシンから降りてきたアインシュタインとベルに呼び止められる。そして21世紀の量子力学について教えて欲しいと頼まれる。そういう設定で、今回は実在性のお話しをしてみましょう。 J.S.ベル(1928-1990)とA.アインシュタイン(1879-1955)アインシュタイン「通訳機能はうまくいってるかな?今は何年ですか?」 物理学徒「2024年ですよ、アインシュタインさん。はじめまして。」 アインシュタイン「おお、うまくいきました。君は量子力学を習った人ですね?すこしお話しさせて頂いてよろしいですか?こちらはベル不等式を発明したベル君です。」 ベル「いきなりの失礼ですみませんが、
タイムマシンは多くの人にとっての憧れでもあり、世界の様々な小説やアニメ、映画にも多く出てくるテーマです。しかしそのストーリーの中では、必ず気にされることがあります。それがタイムパラドックスです。 過去の世界に戻ったときに、その過去の若い自分自身と会ったり、また自分の遠い祖先に会ったりすると、未来が変わってしまうのではないか?そのタイムトラベルに必然的な絡んでくる問題を、物理学では現在どのように考えているのかについて書いてみたいと思います。 時空の物理を記述する確立した物理理論は、アインシュタインが作った一般相対論です。実はその方程式の解には、タイムマシンを含むものも沢山見つかっています。しかしそのような解は、未知もしくは量子的な効果で実現しないだろうと、多くの物理学者は現状では考えています。 タイムマシンが現れる時空の解には特徴があって、閉じた時間的曲線 (closed timelike
「万物は量子情報」という認識論的な理解と「万物は原子分子、そしてそれらは素粒子標準理論に出てくる素粒子やまだ発見されていない素粒子からできている」という原子論的な還元論の理解との整合性で混乱する人もいます。それは原子論が前世紀に実在論として語られていたことが原因だと思います。でも21世紀の現在ではその「実在論」は下記記事にあるように否定をされてます。 電子、ニュートリノやクォークなどの素粒子を記述する標準理論も、「実在」という概念が実験的に既に否定をされている量子力学の中の1つの理論に過ぎません。しかし体を貫通し続けても我々に何も感じさせないニュートリノを、現場でその実験をする研究者が「実在」であると無意識に感じてしまう理由は、素粒子反応のデータから各種物理量の保存則を読み取る、彼らの経験そのものにあります。 そもそもパウリがニュートリノを理論的に提案した理由は、エネルギー保存則の破れが起
物理学として重要なのは、どんな物理理論でも適用範囲が存在するということです。例えば力学では質点という概念を導入しますよね。でも現在の物理学者の中に、本当に大きさが零の物体があると思って説明している人はいないはずです。実験や観測で興味のある領域では大きさ零で近似して良いという意味です。 例えば、よく宇宙の天体も質点として扱って、その運動方程式を解きますが、良い精度で観測データを説明してます。でも現実にはそれぞれの天体に有限の大きさがあり、構造があり、物質組成があるわけです。それらに依存しない性質が、その天体が点に見える大きなスケールでの物理で見えてくるのです。 力学ではよく対象を質点として扱い、またその質量密度分布をディラックのデルタ関数δ(x)を用いて書くことも多いです。でもその密度分布は本当に原点だけに局在しながらその値が無限大に発散しているわけではありません。実際にはその対象の詳細構造
量子力学そのものも、一種の情報理論に過ぎないと考えられます。私たちがこれまで「目の前にある」と信じていた「モノ」も、実際には観測者にとっては情報に過ぎません。 この世界には、色や形といったさまざまな特徴を持つ「モノ」があふれています。しかし、それらはすべて素粒子の集合体です。場の量子論によれば、それぞれの素粒子自体には一切の個性がなく、どこでどのように作られたかという「記憶」も持っていません。これを例えるなら、色も形も特徴のない、同じ素材でできたレゴブロックのようなものです。 では、「モノ」の特徴や個性はどこから生まれるのでしょうか? それは、多数の「レゴブロック」を組み合わせて作り上げられた「量子状態」に含まれる量子情報そのものだと言えます。言い換えると、現代物理学の視点では、個性を持つ「モノ」(存在)の本質は、量子情報という「コト」なのです。 この考え方を「It from Qbit(イ
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