エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【連載】特攻兵の「帰還」 戦後79年えひめ ⑥イングラハム(下)
堀元官一さんが戦死した1945年5月4日の戦闘は、米駆逐艦イングラハムの報告書が詳しい。ジョン・... 堀元官一さんが戦死した1945年5月4日の戦闘は、米駆逐艦イングラハムの報告書が詳しい。ジョン・F・ハーパー艦長によって書かれた米海軍文書で、行動を時系列で記録したアクションリポート(45年5月8日付)と、概要や雑感を記したナラティブリポート(同年6月17日付)の2種類がある。 両文書を元に戦闘の推移をたどる。 イングラハム艦上のジョン・F・ハーパー艦長(1945年撮影) ■ タカのように 5月4日朝、イングラハムは沖縄県北部にある伊平屋島沖で、ほかの5隻の艦艇と陣形を組み、レーダーで哨戒にあたっていた。5隻は駆逐艦モリソンと3隻の小型戦闘艦、そして1隻の機動揚陸艇だった。 これはレーダーピケットといい、日本の戦闘機を早期に発見する任務だ。特攻で大きな被害を受けていた米軍は、沖縄周辺海域の各ポイントに艦隊を配置し、レーダー網を敷いていた。 ハーパー艦長が自宅のスクラップブックに残していた地
2024/06/24 リンク