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フェラーリ、フェラガモ、そしてマゼラーティとの1週間──イタリアの声を聴いた【後編】
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フェラーリ、フェラガモ、そしてマゼラーティとの1週間──イタリアの声を聴いた【後編】
とはいえ、「声」のみがフェラーリをつくるわけではない。フェラーリは1個のカタチであり、運動体だ。... とはいえ、「声」のみがフェラーリをつくるわけではない。フェラーリは1個のカタチであり、運動体だ。高い操縦技量を有するドライバーにも、そうでもないドライバーにも、高い運動性能のクルマを操縦することの歓びを、その走りのクオリティにおいて与えなければならない。そして、フェラーリのエンスージアストはもちろん、フェラーリほどのクルマであればイタリアの老若男女全般が、フェラーリのスタイルはかくあるべし、しかしてフェラーリの走りっぷりはかくあるべし、という個人的でもあれば集合的でもある期待と理想をもっている。どんなあたらしいフェラーリも、そうした漠然としてはいるけれど明確に存在するフェラーリにかかわる集合的意識、集合的規範と対話し、対決することなしには生まれえない。 ラファエル・デ・シモーネという男がいる。僕はかれを個人的には知らないが、かれの先生とは何度も一緒にクルマに乗ったし、何度も運転のアドバイス