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[ヒロシマの空白 被爆75年] 在韓被爆者に健康手帳 金さん 偶然から証人発見
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[ヒロシマの空白 被爆75年] 在韓被爆者に健康手帳 金さん 偶然から証人発見
広島で被爆した在韓被爆者の金殷明(キム・ウンミョン)さん(77)=慶尚南道固城郡=がこの夏、被爆... 広島で被爆した在韓被爆者の金殷明(キム・ウンミョン)さん(77)=慶尚南道固城郡=がこの夏、被爆者健康手帳を取得した。証人が見つからないため申請を諦めかけたが、市民団体の支えをはじめ、偶然にも助けられて取得にこぎ着けた。在韓被爆者の全体像は今なお分かっておらず、その「空白」は被爆から75年を経ても埋まっていない。(明知隼二) 金さんは1945年8月6日、福島町(現広島市西区)の自宅で父能白(ヌンベク)さん=当時(33)、母趙富信(チョ・プシン)さん=同(24)=と被爆した。2歳だった金さんは頭の骨を折る大けがをした。一家は己斐国民学校(現己斐小、西区)に避難。その後、郊外の知人宅でしばらく過ごし、帰国した。 父はけがで働けず、金さんは小学生の頃から働いて母を支えた。成人し、結婚した後も妻子を家に残して各地の建設現場を転々とする暮らし。父母は手帳を取得しないまま他界し、申請制度を知る機会はな