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「表現の自由」、知られざる戦いの歴史 【政治・社会 ことばの歳時記】:時事ドットコム
パオロ・マッツァリーノ 退陣表明の記者会見で記者団が退席、佐藤栄作首相は残されたテレビカメラに向か... パオロ・マッツァリーノ 退陣表明の記者会見で記者団が退席、佐藤栄作首相は残されたテレビカメラに向かって話し掛けた=1972年06月17日、東京・首相官邸【時事通信社】 戦前の朝日新聞は読者の投書を重視せず、1日1通の掲載を基本としてました。その方針を変えて投書欄を刷新・拡張したのは1945年11月のこと。すると11月のひと月だけで、2889通もの投書が寄せられます。まだ衣食住もままならなかったであろう時期なのに、ハガキ代や切手代を負担してでも意見を言いたかったのだと思うと、言論・表現の自由が人間にとっていかに重要であるかが分かります。 「戦争の悲惨さ」ふりかえる春 【政治・社会 ことばの歳時記】 永六輔や野坂昭如らを世に出したことでも知られる音楽家の三木鶏郎さん=1965年8月撮影【時事通信社】 自由の風向きが変わりはじめたことを庶民が意識したのは、日本が主権を回復した1952年のことでし
2022/06/07 リンク