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100年前の大洪水と新しい川の誕生
明治18年(1885年)、淀川で未曾有の大洪水が発生しました。淀川の堤防が次々に決壊し、大阪市内の大半... 明治18年(1885年)、淀川で未曾有の大洪水が発生しました。淀川の堤防が次々に決壊し、大阪市内の大半が浸水する大水害となりました。これを契機に、近代治水工事のさきがけといえる淀川改良工事が始まり、新しい川が造られました。 明治時代、淀川流域では大きな被害をもたらす洪水が頻繁に起こりました。当時の淀川が、いかに氾濫しやすく危険な川だったのかがわかります。 当時、人々が安全に暮らせるまち、にぎわいある商人のまちとして大阪が発展するには、淀川の安定は欠かせませんでした。しかしながら、淀川の大規模な改修工事には、上下流の広大な地域が関係し、多くの時間と費用を要するため、国家的な英断が必要でした。 明治18年、6月中旬から7月初旬にかけて、発達した低気圧が相次いで大阪を襲いました。枚方の三矢、伊加賀で堤防が決壊したのを最初に、淀川は洪水によって堤防が次々と決壊。これにより、府下の北・中河内郡、東成