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松田陽 研究室
これとは別に、東京大学/東京帝国大学を撮った写真に椿山が写り込んでいるものは少なからず残っている... これとは別に、東京大学/東京帝国大学を撮った写真に椿山が写り込んでいるものは少なからず残っている。そのうちで有名なのは1900年パリ万国博覧会に出品する目的で小川一真が制作した写真帖『東京帝国大学』(明治33年版)内の「赤門」の写真だが、これはむしろ例外であって、大部分の写真は、赤門をモチーフとした名所絵葉書用に撮影されたものである。こうした名所絵葉書のうち、異なる時代に撮られた三点を例として図3-5に示す。いずれも、椿山に生えていた木が赤門の右手後ろに写り込んでいる。 江戸時代の椿山、すなわち富士山の状況については、先行研究(竹谷2009、宮崎1990、2000、森下1990)を参照しながら近世の随筆集や地誌(1614-31年頃刊の『慶長見聞集』、1662年刊の『江戸名所記』巻二、1732年刊の『江戸砂子』巻之三、1825年頃成立の『兎園小説』、1830年完成の『新編武蔵風土記稿』巻之十
2024/07/10 リンク