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「科学リテラシー」を危惧する話題はあるのに「教育リテラシー」が危惧されないのはなぜか?|まなびる
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「科学リテラシー」を危惧する話題はあるのに「教育リテラシー」が危惧されないのはなぜか?|まなびる
理科を担当する私にとって,巷で流行りの「水素水」のバカバカしさは甚だしい。 ちょっと自然科学をカジ... 理科を担当する私にとって,巷で流行りの「水素水」のバカバカしさは甚だしい。 ちょっと自然科学をカジっていればすぐ気がつくことではあるが, 健康信仰ゆえに盲信する人にとって水素水が心理的にその罠に陥りやすいことも 想像し易いことである。 このように「科学リテラシー」については似非科学の台頭のたびに リテラシー不足の危惧が話題として挙がるわけだが,今日はそういう話ではない。 科学についてのリテラシーについて危惧する人は多いが, かたや教育というものについてはもっとリテラシーが働かないのに それがあまり話題に挙がらないことが心配なのである。 「科学リテラシー」の危惧者が自身の教育を批判できない。科学リテラシーがなぜ問題になりやすいか。 一般論を言えば,科学知識がないから(なのでよく「理科教育の敗北」と揶揄される) 例えば水素水といった一見科学っぽく聞こえ,かつ効果がありそうなものに対し 深く考え