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MINATOあらかると|港区の伝統工芸士|琵琶 (四世 石田不識)
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MINATOあらかると|港区の伝統工芸士|琵琶 (四世 石田不識)
日本広しといえど、すべて手づくりで琵琶をつくる職人は唯一ここ虎ノ門の石田不識さんだけになってしま... 日本広しといえど、すべて手づくりで琵琶をつくる職人は唯一ここ虎ノ門の石田不識さんだけになってしまいました。 石田さんが四代目『石田不識』を継いだのは昭和45年。この年に三代目が急逝、琵琶製造が止まってしまいました。三代目のお得意先や琵琶の師匠たちからは、新規の琵琶や修理などの依頼が多く寄せられ、三代目のご息女と結婚していた大工の石田さんが継ぐことに。まだ30代初めのことでした。 「まさか、おれが四代目を継ぐことになるとは思っていなかったよ。だって先代から技術を仕込まれたっていうわけじゃないんだもの。糸巻などの細かい部品は、見よう見まねで手伝っていたこともあったけど、まったくの暗中模索。しかし、継ぐからには半端なものはつくれない。とはいえ、もともと大工だから琵琶の形をつくるのは、さほど苦労ではなかったんだな」 ところが、ここからが苦労の連続であったといいます。 「形はできるんだけど、理想の音