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群馬県から勧請されし 原の妙義さま(三浦市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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群馬県から勧請されし 原の妙義さま(三浦市) - みうけんのヨコハマ原付紀行
三浦半島を縦断する三崎街道を原付で南下していきました。 とちゅう、三崎警察署をすぎて米屋のある所を... 三浦半島を縦断する三崎街道を原付で南下していきました。 とちゅう、三崎警察署をすぎて米屋のある所を曲がっていくと、細い道筋に小さな鳥居を構えたこぢんまりとしたお社が見えてきます。 これが三崎の妙義神社のお社です。 「妙義神社」と聞いて思い出すのは、赤城山、榛名山とともに上毛三山とうたわれ、奇石ともいえる岩肌をむき出しにした妙義山と、そのふもとに鎮座されている妙義神社です。 そんな妙義神社が、なぜ遠く離れた三浦市に勧請されているのだろうかと不思議に思います。 この神社は正式には「原妙義神社」といって、地元の方々は親しみをこめて「妙義さま」と呼んでいます。 しかし、その時代がいつのことであるのかははっきりとしていないそうです。 この原妙義神社で特筆すべきものは、境内に残された手水鉢でしょう。 この手水鉢には明治37年~38年の日露戦争に従軍し、無事に凱旋した原の里人が奉納したことが記されていま