エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント12件
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
頼朝は、義経に困っていた? - みずおのアレコレ話
源義経は平家を滅亡させ、鎌倉幕府を樹立させた大功労者です。しかし、兄・源頼朝の追討軍によって命を... 源義経は平家を滅亡させ、鎌倉幕府を樹立させた大功労者です。しかし、兄・源頼朝の追討軍によって命を奪われます。 義経は、一ノ谷の崖を、わずか七十騎とともの駆け下り、平家の大軍を敗走させます。その後も次々に平家軍を打ち破り、壇ノ浦で平家を滅ぼしました。 最大の功労者ともいえる義経でしたが、勝手な振る舞いが多く、徐々に頼朝からの信頼を失っていきます。 とくに朝廷から義経が官位を受けたことが、頼朝の信頼を完璧に砕きました。兄の頼朝に断りもなしに、勝手に義経が官位を手にしたことは、鎌倉政権の基盤を崩しかねない行為だったからです。 義経は朝廷にまるめこまれ、鎌倉政権と対立するよう仕向けられたのかも。後に義経は鎌倉を訪れようとしましたが、鎌倉へ入ることが許されませんでした。 義経は、朝廷と組んで鎌倉政権と敵対するつもりはなく、ただ単に思慮が浅いだけだったのかもしれません。 土地を守るために東国の武士は戦
2017/02/10 リンク