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関根潤三氏 「親父のズボラ」で戦争に行かずに済んだ背景
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関根潤三氏 「親父のズボラ」で戦争に行かずに済んだ背景
飄々とした語り口が人気で、野球解説者として“最長老”の世代に入る関根潤三氏。誕生日を聞くと「わかん... 飄々とした語り口が人気で、野球解説者として“最長老”の世代に入る関根潤三氏。誕生日を聞くと「わかんないんだよ」と笑いながら、以下のように語ってくれた。 * * * 僕は大正15年(1926年)12月25日生まれ。ところが戸籍上は昭和2年(1927年)の3月15日。変でしょ? これにはちゃんとした理由があって──まあ、簡単にいうと、親父が役所に届けるのを忘れてたの(笑い)。 大正15年12月25日は大正天皇が崩御された日で、翌日から元号が「昭和」になったんだけど、役所は喪に服して業務をやっていなかった。おまけに親父がズボラだったから、そのまましばらく出生届を出し忘れていた。 ようやく出したのが翌年3月15日。さらにマヌケなことに、届けを出したその日を誕生日にしちゃった。 大正から昭和になり、しかも昭和元年が1週間しかなかったから、僕は本当は大正15年生まれなのに、「昭和2年生まれ」というわけ