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シリーズ 戦後70年 | 【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」
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シリーズ 戦後70年 | 【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」
第2次世界大戦における日本人将兵や市民らの死亡者・行方不明者は、広島、長崎での被曝を含め300万人以... 第2次世界大戦における日本人将兵や市民らの死亡者・行方不明者は、広島、長崎での被曝を含め300万人以上に上り、空襲等での罹災者(りさいしゃ)は1000万人を超えた。 「戦争を知らない世代」が大半を占める今、この悲惨さを肌身で感じるのは難しい。だが、「東日本大震災」の犠牲者約2万人の、実に150倍を超える墓標(ぼひょう)に思いを馳(は)せると、戦争という破壊のすさまじさに、少しは実感がわくのではないか。しかも、天災ではなく、究極の人災である。戦後、日本人の大半は親族・知人を失い、焼け跡にたたずみ、飢餓におびえ、どん底から再出発を期すほかなかった。 「戦争国家」(WarfareState)と呼び、自分たちは「福祉国家」(WelfareState)と名乗った。戦争に人も金も物も投入する敵国に対し、国民とその生活を大事にする姿勢を示した。 ドイツの攻勢にあえぐ1942年、英国政府が経済学者ウイリア