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時間と別れるための50の方法(6) – cave syndrome
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時間と別れるための50の方法(6) – cave syndrome
●背に腹は変えられない 「前」についてばかり話していても何なので、ここで「後ろ」についても少しだけ... ●背に腹は変えられない 「前」についてばかり話していても何なので、ここで「後ろ」についても少しだけ。 言うまでもなく、後ろは見えません。視覚的現実としては、後ろは存在していないのも同然です。その意味で『人神/アドバンスト・エディション』では、「後ろ」のことを〈想像的なもの〉と書きました。前が〈現実的なもの〉。後ろが〈想像的なもの〉。これはラカンの言う「現実界」や「想像界」という言葉をある程度、意識した上での表現です。 見ること自身が光であり、かつ、それが「前」の異名であるのならば、「後ろ」とは「見えないこと」そのものの仮称であり、それは「闇」の世界とも言えます。しかし、残念なことに、ラカンの「鏡像段階」論を素直に受け入れるならば、人間という存在はこの闇に依拠して初めて成立することが可能となるような生き物です。というのも、この理論では、人間、すなわち、自我の在り方は、本来、他者の眼差しの中に