エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
お茶の水女子大学理学部 | 理学部関連記事 | 保井コノ
「保井 コノ」 ―日本の大学初の女性博士となった植物学者― 三木 寿子 女高師在学中の保井(右)と友人(... 「保井 コノ」 ―日本の大学初の女性博士となった植物学者― 三木 寿子 女高師在学中の保井(右)と友人(1901年) 保井コノは1880年(明治13年)香川県に生まれた。18歳で香川県師範学校を卒業、直ちに上京して女子高等師範学校理科に入学した。同校が文科、理科を分けて募集した最初の入学生18名中の1人であった。卒業して女学校の教師を3年勤めた後、1905年、保井25歳の時、女高師に初めて設けられた研究科に最初のただ1人の理科研究生として入学し、シジミの研究者として知られた岩川友太郎教授のもとで動植物学を専攻することになった。その研究科1年のときに発表した「鯉のウェーベル氏器官について」は、『動物学雑誌』に掲載された女性科学者最初の論文であった。次いでヒルの研究を勧められたが、ヒルは大嫌いとそれを断り、自分でさんしょうもの原葉体を調べて『植物学雑誌』(1909)に発表。それが東京帝国大学農
2012/01/23 リンク