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千都フォント|連載#7「無名無冠の種字彫り師」
上海美華書館から導入した明朝体活字を改良し、現在の活字書体の基礎を築いた東京築地活版製造所は、昭... 上海美華書館から導入した明朝体活字を改良し、現在の活字書体の基礎を築いた東京築地活版製造所は、昭和13(1938)年その栄光の歴史に幕を閉じました。明治3(1870)年本木昌造が長崎で新町活版所を設立してから68年目のことでした。 この築地活版の最後の種字彫り師が安藤末松(あんどうすえまつ)です。明治40(1907)年4月生れ、本名は仁一ですが、昭和天皇のお名前が裕仁ですのでおなじ字をはばかって末松と名のっていました。高等小学校を卒業した大正10(1921)年築地活版の彫刻部に小僧さん(見習いです)として入所しました。14歳のときです。 もうだいぶん昔のことになりますが、私は安藤末松さんのお宅を訪ねてお話しをうかがったことがあります。昭和45(1970)年4月6日のことです。東京都中央区湊町の、バス通りから細い道をすこし入った木造二階建ての、三軒の棟割り長屋の左端であったと記憶しています。