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柳宗悦の「朝鮮の友に贈る書」他
韓国を訪れる日本人はこのところ急増しているらしく、1999年の統計では、ついにハワイを抜いて韓国が日... 韓国を訪れる日本人はこのところ急増しているらしく、1999年の統計では、ついにハワイを抜いて韓国が日本人の海外渡航先のNo.1になったと聞いた。そんな日本人観光客はほとんどがまず首都ソウルを目指す。そして、ソウル市内観光といえば、まず訪れるのが「景福宮」だ。これは、李朝の宮廷跡であり、日本で言えば皇居や京都御所にあたる。この「景福宮」の正面南の入り口にそびえ立っているのが、正門である「光化門」だ。かつて、この一つの朝鮮建築を心から愛し、それが同じ日本人の手によって破壊されることに対し、雑誌に抗議文を発表して守ろうとした一人の日本人がいた。それが、宗教学者であり、また民藝運動家として知られる「柳 宗悦(やなぎ むねよし)」(1989〜1961)だ。 日本は、日清・日露の戦争の後、1910年に朝鮮を併合した。その支配を強めるため、この景福宮の南正面に、巨大な総大理石でできた朝鮮総督府を建築しよ