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大瀧詠一の「夢で逢えたら」が日本有数のスタンダード・ナンバーに至るまでの道のり
数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味で... 数多くのヒット曲を残した大瀧詠一の作品の中でも、広くカバーされてスタンダードになったという意味では、「夢で逢えたら」が代表曲に挙げられる。 この歌が誕生したのは1974年の秋に、CMソングを担当した「花王ドレッサー」がきっかけとなった。女性シンガーのアン・ルイスがひとこと、「ドレッサーね」と語るCFが好評で続編が作られることが決まった。 そしてアン・ルイスが「♪ 髪にエーヨー」とCMで歌うことになり、彼女が所属する渡辺プロダクションからレコード用にも何か一曲、書いてほしいと依頼されたので、大瀧詠一はまもなく「夢で逢えたら」を書き下ろしたのだ。ところが事情があって、その曲は採用されずに宙に浮いてしまう。 アン・ルイス用に作られたデモ・テープを偶然に聞いたのが、吉田美奈子の担当ディレクターだった。彼がそれをいたく気に入って、「どうしてもアルバムに入れたい」と申し入れてきた。 1973年のはっぴ
2014/10/24 リンク